手付けを払ったら売主倒産!さあどうする。

1.登記依頼

  某月某日、老税理士の訪問を受けた。
 顧問先が工場用地を購入する計画があるが、「売主に変な奴が付いている。手付けを要求している。」と苦悩の表情で話し出した。持参した登記事項証明書にはたくさんの担保権が付着している上に、確かに最後の根抵当権にはどこかで見たことのある個人名が担保権者として記載されていた。
  手付け問題に関しては、測量、境界画定が入らない現況有姿売買であるならば、手付け無しの一回決済でやられたらどうですかとアドバイスした。
  老税理士は所有権移転登記は、兎に角、伊藤に依頼したいと言うことで、ありがたく受託させていただくことにした。
  私は売買の仲介者にそれぞれに連絡をとり、1ケ月後の受渡日を待つことになった。仲介業者は買主は名古屋、売主は豊橋と、どちらも大きな不動産会社であった。
 手付け支払に関しては私は老税理士にアドバイスしたのみで直接関与しなかった。

2.事件勃発

 息子のバレー大会を仕事の途中に立ち寄って観戦していた。息子は末端の声援係りであった。携帯電話が鳴った。売り主仲介不動産会社からで、やりとりは以下のとおりである。
不動産会社「先生、大変です。売り主がどうも不渡りを出しそうなんです。そこで仮登記できますか。」
伊藤    「そりゃーできるけど、売り主は確保出来るの。」
不動産会社「えー、大丈夫です。ここにいます。何か変な所から金借りているみたいで、ちょっとやばいんです。」
携帯電話の感度もあまり良くなく、体育館の裏庭で、倒産だの債権者だのと大声を張り上げるのもはばかられて、不動産会社の一度来ていただけないかの言葉に従い、中学校を後にした。

3.否認権

 売主仲介会社(以下A社とする)に午前11時、到着すると買主仲介会社(以下B社とする)の営業社員と売り主、債権者が既にいた。
 売り主の風貌は60代の職人風で、ここのところの資金繰りに精力を使い果たしているようで、生気が感じられなかった。
 しかし、いつも思うことなのだが、高利貸しにはまる人というのはどこか人の良いところがある。この売り主もどこか人の良さが感じられた。
 さて、本日、午後3時までに300万円を当座に入金しないと売り主は不渡りになると言う。
 よく話を聞いてみた。
 売り主は、本件土地の手付けを受領して売買契約を締結した時点で、既に債務超過、支払不能に陥っていた。本来ならば、現況有姿売買だから、手付けなど払わず、一括代金精算、引渡のケースである。にもかかわらず、手付けを売り主が望んだのは資金繰りが苦しかったからである。それを安易に認めてしまったA社B社にも落ち度はあろう。
 しかも、A社は売買期日まで売り主を何とか倒産させまいとして、大分、売り主に資金融資をしているようである。しかし、システム金融等からの融資を受けている事が判明して、A社には本日の不渡り回避の資金融資を如何にするかの決断が迫られていたのである。
 そして、本日の不渡りを選択した場合、システム金融からの執拗な回収、所有権移転仮登記、担保設定、強引な占有等が予想(既に印鑑証明書、委任状等は渡しているようである)され、事実上、買い主への所有権移転が不可能となり、買い主からA社B社への損害倍書へと発展することになる。そこで、とりあえず仮登記だけでもと言うことになったのである。しかし、仮登記をしたって本登記にするには、多くの金融機関やらシステム金融の担保抹消に関する協力がいるから、なかなかやっかいなことである。
 そこで、話は、いっそのこと、買い主が残代金を支払って売買してしまったらどうかという話になったのである。
つまり不渡りを出して、システム金融が察知した時には、名義は変わっていたと言うことにするのである。そして、怖そうな連中が慌ててやって来ても既存建物は完全に封鎖して、中へ入って占有されないようにする。そうすれば取りあえず、権利、占有関係を守ることが出来る。ただ、それを為すためにはおびただしいハードルを乗り越えなければならなかった。ハードルは以下のとおりである。
@手形は連日のように支払期日がやって来るので、本日を限りにして、明日、午後3時までに売買、所有権移転登記申請を実行しなければならない。
A本日の売り主の不渡りを免れるためにA社は資金を取引口座に入金する。A社はその用意はあった。勿論、売買代金から後日返済してもらう計算はあった。
B翌日の所有権移転登記申請をするために、買い主は資金調達をしなければならない。大きな会社であり、それも大丈夫そうであった。
D売り主債権者(担保権者)は稟議にかけ抹消書類を明日までに作成しなければならない。しかし、危急時には人間は頑張れるものである。関係者はそれを決行することは可能だといった。
 しかし、私は未だ乗り越えなければならない大きなハードルがあることを皆に告げた。それは先述した破産法72条の否認権の問題であった。否認権というのは、ひと言で言えば、破産財団にとって不利益な売買は破産管財人が売買を否認して、元の状態に戻すと言うことである。しかも、注意しなければならないのは、不動産は破産財団に戻されるが、買い主の支払った代金は通常の破産債権になると言うことである。通常の破産債権とは、代金全額戻ってくるのではなく、一般の破産債権者と同じく何割配当という形でしか回収できないと言うことである。売買代金は2億円であった。
 私は、司法書士の職責としてその事実を告げた。
 A社、B社とも、顧問弁護士にすぐに電話を入れた。
 長い夜の始まりだった。
3.さあどうする。

  A社B社の顧問弁護士が頭をひねった。私も懇意にしている弁護士と相談した。いわば背後にいる3人の弁護士の知恵の絞り合い的な様相を呈してきた。結果は、2対1であった。2は登記断行。1は慎重論であった。登記断行派は私とB社であった。慎重論はA社の顧問弁護士であった。
  登記断行の理由は、まず、絶対に手付金2000万円を無駄には出来ないこと、適正価格で売買していること、システム金融を除いた多くの債権者が今回の売買で満足を受けること、債務者が自己破産を申し立てなければ、破産を申し立てるものはいなくなり、否認権は存在しない(民法424条債害行為取消権の問題は残る)、もし破産に移行しても破産管財人はかかるケースでは否認権を行使しない事が想定される、システム金融は違法性が高く法的解決に弱いなどか理由であった。
 慎重論はその逆であった。適正価格売買はともかく、システム金融は筋が良くなく、腹立ち紛れに何をするかわからない、つまり破産の申立もしてくる可能性がある。買い主はお客さん商売の会社であり、そこへ嫌がらせに来ることも当然想定される。警察と言っても、通報したり、現実に対応できる社員従業員がそこの会社にいるとは思えない。破産管財人も100%否認しないとは断言できない。そもそも、A社はA社ブランドに掛けても買い主たる社長(上品な女社長)にそんな境遇を与えるべきではない。以上が慎重論の理由であった。
  採択した結論は登記見送りであった。つまり売買断念である。手付け2000万円の返還はA社が負担するということになった。
  さすが大きな不動産会社であると感心した。A社、B社、夜を徹しての話し合いの結果であった。

4.思わぬ展開
  私は、本件売買は完全つぶれたものとして、老税理士から今までの相談料として幾ばくかの報酬をもらった。
 そしてそれを忘れかけた頃、A社から電話があった。売り主が不渡りを出してからの窮状を相談した弁護士がこういった事件に強い所謂、整理屋を売り主とA社に紹介したのであった。A社としてみれば手付けの損害賠償をむざむざ支払うよりはと乗った。買い主も当該土地が欲しかった。また、この事件が俎上にのったのである。
  私はその整理屋というのに会った。図々しそうでは合ったが、別段アウトロー的な雰囲気はなかった。
  整理屋の目論見は、全ての金融機関、債権者、システム金融を含め話し合いを持ち、担保抹消の合意を取り付け、自分の取り分を加えて、円満に所有権移転するというものであった。何とすべて順調にいってしまった。
 受渡日当日は債権者が10組、人数にして20数人が集まり、買い主側はまた、名古屋から弁護士が買い主代理人として来るという仰々しさで、記憶にのこる受渡となった。
 今、彼の地は古い建物が全て取り壊され、塀で囲まれ、誰も侵入できないようになっている。そして新しい建設工事を待っている。どんな建物が出来るのであろうか。
  
5.教訓
 

  この教訓は難しい。
 後の話にも出てくるが、手付けを打った後の売り主の経済的破綻や、ましてや、失踪などということは分かるものではない。興信所を使って信用を調査するのも現実的ではない。
 ただ一つあるとすれば、境界確認、測量が入らない現況有姿売買の場合は、手付けというものを打たないことである。勿論、うたなければ売買の拘束力は弱まるが、倒産されたり、トンずらされたりした場合の危険はもっと損害が大きい。
 日本の不動産取引商慣行で、手付けをうった場合、買い主が仮登記をするというのはあまり聞かない。金額の多寡に拘わらず、売主のその後の事情の変更というのは十分に考えられる。
 そのためにも手付け契約をした時の所有権移転仮登記の励行を司法書士会はじめ宅建業協会も推奨すべきものと考える。少なくとも、私が不動産を購入する時に、手付けを払うのであるならば、絶対に仮登記をやろうと思う。それに難色を示す不動産業者、売り主がいるとすれば、事情を飲み込めない石頭か、何か言うことの出来ない他の事情があるはずである。